神戸地方裁判所 昭和50年(つ)4号 決定 1976年3月31日
主文
本件請求を棄却する。
理由
本件請求の要旨は、
「被疑者竹之内一志、同山本伍郎は、いずれも兵庫県警察本部保安部自動車警ら隊姫路方面隊所属の警察官として、犯罪捜査、交通取締等の職務に従事していたものであるが、共謀のうえ、
第一 昭和四八年六月二四日午後一一時すぎころ、姫路市車崎一六八〇番地付近路上において、その職権を濫用し、請求人鈴木一誠をして、その所有にかかる自動車運転免許証を提出させて義務なきことを行わしめるとともに請求人の黙秘すべき権利を侵害し、
第二 同年八月一一日ころ、姫路市本町六八番地兵庫県姫路警察署において、職権を濫用し、請求人鈴木一誠が提出した右運転免許証等の盗難被害届の受理を拒否して、請求人の行うべき権利を妨害し
たものである。
ところで、右の各所為は刑法一九三条の公務員職権濫用罪に該当するので、請求人は、神戸地方検察庁検察官に対し、被疑者両名を告訴したところ、担当検察官は、昭和五〇年一〇月三一日、右被疑事件につき不起訴処分をしたもので、右処分には不服であるから、右事件を神戸地方裁判所の審判に付することを求めて本件請求に及んだ。」というのである。
一件記録によれば、請求人は、右公務員職権濫用の事実につき、被疑者両名を神戸地方検察庁検察官に告訴したが、同検察庁検察官は、右事実につき、罪とならずという理由で、昭和五〇年一〇月三一日不起訴処分に付し、同年一一月五日請求人に対しその旨を通知し、請求人は同年一一日本件請求書を右検察官に差し出したことが認められる。
そこで、公務員職権濫用罪につき検討するに、一件記録によれば、被疑者両名は、昭和四八年六月二四日パトカーで警ら中、同日午後一一時三七分ころ、請求人運転の軽四輪貨物自動車が姫路市車崎一六八〇の一番地先の通称車崎交差点に西から東に向けてさしかかり、同交差点の東行信号が赤色を表示しているのにこれを無視して通過進行したのを現認したので、信号無視の道路交通法違反被疑事実で捜査するため同人の車を追尾し、違反現場から東方約一五〇メートルの通称車崎東交差点で追いつき、被疑者竹之内一志(以下竹之内巡査という)が同交差点東方四〇メートルの姫路市竜野町六丁目六番地播州ガス共同組合前国道六号線上(以下「第一現場」というまで誘導し、同所において、請求人に対し、前記交通違反の被疑事実を告げて免許証の提示を求めたところ、請求人は、信号無視の事実は否認しながらも、車両の窓を開けて自動車運転免許証(以下「本件免許証」という)をケースごと竹之内巡査に手交したこと、同巡査は請求人をパトカーまで任意同行させ、請求人の違反状況及び交通反則通告制度が適用される旨を告げて、反則切符作成にとりかかつたところ、請求人は信号無視の事実を否認するとともに、免許証提出義務の法的根拠の説明を求めつつ本件免許証の返還を強く要求し、さらに、免許証ケースの中に五、〇〇〇円が入つている旨を申し立てたので、同巡査は、反則切符に必要事項を記載したら免許証は直ちに返還する旨を告げ、右ケースの中から免許証のみぬき出し、現金五、〇〇〇円、写真及びケースを請求人に返還しようとしたが、請求人はこれを受領しなかつたので、そのまま同巡査が反則切符の作成を継続しようとしたところ、請求人は「お前ら勝手にせい」などと怒号して自己の車両に戻り、エンジンをかけて発進したこと、そこで、一台のパトカーでは処理しきれないと判断した同巡査が姫路指令分室に前記状況を報告して応援を求め、違反現場から東方約1.4キロメートルの地点にある大手前交差点付近(以下「第二現場」という)で請求人の車を停車させたところ、折から小国警部補ら五名の警察官が応援にかけつけてきたこと、小国警部補及び竹之内巡査が請求人に対し、反則切符作成のため車から降りるように説得したが、同人が右説得に応じなかつたため、右小国警部補の指揮により、竹之内巡査が反則切符を作成し、請求人に対し、反則事実の要旨を説明し、反則切符の反則者供述者欄に署名を求めたところ、署名を拒絶したので、否認事件として処理すべく、山本伍郎巡査が供述調書の作成にとりかかるとともに、実況見分の立会を求めたが、請求人が右のいずれにも応じなかつたため、小国警部補の指示により、一切の手続を打ち切り、竹之内巡査が免許証を返還しようとしたが、請求人は「お前ら盗人や」などと怒号して受領を拒絶したので、竹之内巡査が、請求人の車の窓から、本件免許証、同ケース、五、〇〇〇円札及び写真各一点を一個ずつ確認しながら、運転席に座つていた請求人の膝の上に返還したこと、その時刻は、翌日の午前零時五〇分ころであつたこと、請求人は、その後同年八月一三日ころに至り、右日時場所で、被疑者両名から本件免許証一通、現金五、〇〇〇円及び写真一葉を強奪された旨の盗難被害届と題する書面を、姫路警察署長宛に郵送し、右書面を受領した前姫路警察署刑事一課長中村一夫は、姫路方面隊毛利警部に問い合わせたところ、本件免許証等は前記のような経緯で請求人に返還されている旨の回答を得たので、請求人宅に電話をし、請求人が出頭してきたら納得のいく説明をするが出頭してこなければ説明する事案ではない旨を告げたところ、請求人は出頭しなかつたので、右書面は一般文書として受理し、正式な盗難被害届としては受理しないこととしたこと等の事実が認められる。
以上の事実関係によると、本件においては、(一)請求人は当初任意に本件免許証を竹之内巡査に提示していること、(二)竹之内巡査は、あらかじめ交通反則切符の作成が終り次第免許証はその場で返還する旨請求人に告げていること、もつとも、竹之内巡査は、請求人から免許証の提示を受けてこれを返還するまでに約一時間一〇分を費しており、返還までの時間がやや長きに失したきらいはあるが、これは、免許証を受け取つた同巡査が交通反則切符作成にとりかかつたところ、請求人が意を翻して免許証の返還を要求し、免許証提出の法的根拠の説明を求めるなどして問答となつたので、同巡査が反則切符作成に応じさせるべく説得を続け、その間、請求人が同巡査らに向つて怒号したり、第一現場から第二現場へ移動したりしたほか、車の窓を閉めるなどしてかえつて免許証等の受領を拒絶するような挙動に出たためであること、(三)竹之内、山本巡査らは、請求人の免許証返還要求に対し、その意を翻すよう説得したにとどまり、実力を行使してその返還を拒絶した形跡はないことがそれぞれ認められるところ、このように、一旦任意に免許証の提示を受けた警察官が、現場において反則切符作成のため反則者の住所、氏名及び生年月日等必要事項を確認する間当該免許証を所持することは、その所持が実力の行使を伴うものでないかぎり違法とはいえず、いわゆる任意捜査の範囲内に属するものと解するから、被疑事実第一についての両巡査の所為は、職権濫用罪には該当しない。また、免許証の提示を受けた警察官は、免許証記載の事項を確認することができるのであるから、本件においては、請求人の黙秘権は何ら侵害されてはいない。
さらに、被疑事実第二についても、本件被害届を受理しなかつたのは前記警察官中村一夫であつて、被疑者両名は被害届の不受理には何ら関与しておらない。なお、右中村警察官が本件被害届を一般文書として受理し、盗難被害届として受理しなかつたのは、前記認定のとおり、運転免許証等は何ら強奪されたものではなく、また、これらは請求人に返還されていたからに外ならず、しかも、右不受理の処理に際して請求人に聴問の機会さえ与えているのであるから中村警察官の所為は何ら不当なものではなく、被疑者両名につき職権濫用罪を構成しないことは論を俟たない。
以上のとおり、請求人の本件請求はいずれの被疑者についてもその理由がないので、刑事訴訟法二六六条一号により主文のとおり決定する。
(荒石利雄 楠井勝也 木村烈)